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野田文信(野田聖子の夫)の経歴と馴れ初め!出会いは韓国だった!

野田文信(野田聖子の夫)の経歴と馴れ初め!出会いは韓国だった!

野田文信さんとは最近、自民党総裁選に立候補して話題になっている野田聖子さんの夫です。

もしも、野田聖子さんが女性初の総理大臣になった場合、野田文信さんはファーストジェントルマンになります。

ファーストジェントルマンになる可能性がある野田文信さんがどんな方なのか、今のうちに知っておきたい方は多いのではないでしょうか?

今回は、そんな野田文信さんの経歴や、野田聖子さんとの出会いや馴れ初めについてご紹介していきたいと思います。

野田文信さんの経歴

野田文信さんは、1967年生まれの京都の出身です。

幼い頃に両親が離婚しており、父親と暮らしていましたが、折り合いが悪くなり、母親と暮らして成長していったそうです。

そういった幼少期があったことからか、中学生時代の野田文信さんはかなりヤンチャだったようで、バイクを盗難したり、シンナーを吸ったりして、警察のお世話になったこともあるようです。

高校卒業後は、板前修行をしていましたが長くは続かなかったそうです。

そして板前修行後は、携帯電話販売事業をネクサスに入社し、7年間行っていたとのこと。

その後の野田文信さんは、2006年に焼肉店をオープンします。

さらに、2011年頃には韓国料理店もオープンされました。

野田文信さんは今まで数々の仕事を経験されてきた方なんですね。

野田聖子さんとの馴れ初めは?出会いは韓国だった!

野田文信さんと野田聖子さんの馴れ初めの始まりは、野田文信さんが経営していた韓国料理店に、当時は衆議院議員だった野田聖子さんが訪れたときに、野田聖子さんの一目惚れから2人の交際がスタートしたそうです。

野田聖子さんは野田文信さんと出会う前は、事実婚をしていた過去があり、そのお相手は鶴保庸介さんという国会議員の方でした。

ではなぜ野田聖子さんは事実婚を選択したかといいますと、

野田聖子さんの父親は舅の養子になっていて、野田聖子さんは祖父の養子になっているのですが、これは野田聖子さんの父親の舅に男の子がいなかった事と、父親に兄弟がいなかった事が原因なんです。

父親は舅、祖父ともに自分の姓を残すためにこのような養子縁組をおこなったとのことです。

こういった経緯があり、野田聖子さんも野田の性を残すために鶴保庸介議員と事実婚という形をとっていたということです。

その後、野田聖子さんの不妊治療が原因で、2人は事実婚を解消したそうです。

そして、野田聖子さんと野田文信さんは出会いました。

それから2人は4年間の遠距離恋愛を続けた後に、野田聖子さんはアメリカ合衆国にて卵子提供を受け、体外受精を実施して妊娠することができたそうです。

その後、2011年に重い障害をもって長男の野田真輝くんを出産しました。

この出産をきっかけに野田文信さんと野田聖子さんは入籍をされます。

入籍時に野田文信さんは旧姓が「木村」だったのですが、姓を野田に改姓しています。

そして野田文信さんは、この結婚をきっかけに、専業主夫として育児や介護に専念するために、経営していた韓国料理店を閉業しています。

家族ファーストというところが、家族を大切にされる方というのが伝わってきますね。

おわりに

ここまで野田文信さんの経歴や野田聖子さんとの馴れ初めについて見てきましたが、

この記事を読む前よりも野田文信さんがどのような方なのか、イメージしやすくなったのではないでしょうか?

野田聖子さんの野田を守りたいという姓に対する拘りのために、自分の姓を改姓し、家族を優先するために専業主夫になること選択し、とても家族想いな方というのがわかりました。

もし、野田聖子さんが総理大臣になったとしても、野田聖子さんは安心して野田文信さんに家族を任せられるのではないでしょうか。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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